secret heart plus

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windfall 後編




「二人は嘆き悲しみ、周囲の人々の忠告に耳を貸さずにいた己を恥じ、毎夜涙を零します。恋しくて切なくて、会いたくて、食事も喉を通らない。動くことすらままならなくなった二人は、床へ伏す事が多くなっていきました」


悲しそうに瞳を伏せた彼女の瞼に触れた。
ぴくんと震えたそこへ唇を落とし、縁をなぞる様に舌を滑らせる。
いらぬことまで言ってしまった事を少し後悔した。
彼女の性格を考慮するならばもう少し簡潔に話しても良かっただろうか。


「次第に痩せ衰えていく織女と牽牛のあまりの悲しみように、天帝はある条件を出しました。互いを想い合い生涯を正しく真面目に暮らすと言うのならば、年に一度、七夕の日に会う事を許そう」


やっと瞼を上げた彼女に薄く笑みが零れる。
ほんとうに分かりやすい、優しい女性だ。
小さな身体を腕の中に閉じ込めて強く抱きしめた。
顎に触れる柔らかな髪に頬を寄せて息を吸い込むと、甘い香りが鼻を突く。


「こうして二人は年に一度、七夕の日に再会することになったのです。二人は共に居られる事、触れ合うことの大切さ知り、一年間の淋しさを心に秘め、会えない時間を惜しむ訳でもなく、七夕の夜には幸せに睦み合うと」


そう締めくくると、一気に身体の力を抜いた彼女が感嘆の声を漏らす。
満足そうなその声音に背中を摩るように撫で上げれば、身じろいだ彼女が見上げてくる。


「なんかすごい。大まかにしか知らなかったけど、なんていうか、すっごいや。人の振り見て我が振り直せ?」


あれ…ちょっと違うかなぁ、と首を傾いだ彼女に噴き出してしまう。
恋愛に夢中になり過ぎている男女には教訓になる話でもあるのだから、そうとも言えるだろう。
ただ実際そういった場合に引き離されるかそうでないかといえば、明らかに後者が多いのも事実だ。
やはり伝説は伝説、昔話で済んでしまうものであるし、だいたいどれほどの人間が七夕の本当の由来を知っているのかも怪しい。


「日本の七夕祭りは、今話した中国古来の星伝説と、乞巧奠。それに日本古来の神話である棚機女伝説が結びついた行事なのですよ」
「たなばたつめ伝説は古事記で習ったけど、きっこうでん? は知らないなぁ」


きょとんと瞳を瞬かせた彼女の頭をそっと撫でる。
心地良さそうに目を細めた彼女を愛らしいと思うのは、恋人だからというだけではない。
例外もあるかもしれないが、自分の知る限りでは、彼女の周囲に居る誰もがその愛らしい笑顔に癒されているのだ。


「乞巧はたくみを乞うこと、奠は祀るという意味で、七夕にあやかった行事の事です。織女は機織りの仕事を司る星であることから、女性が裁縫・習字に巧みになる事を祈る中国古来の風習ですよ。七夕の夜に供え物をして織女星を祀り、裁縫や習字の上達を祈願する行事の一つですね」
「おぉう!? それはなんと言うべきか…聞いた以上はやらなきゃって感じだよねぇ、苦手だし」
「わたしはどちらでも」


乾いた笑いを零す彼女の背をぽんと叩く。
裁縫や習字が苦手でも特に問題はないように思うが、彼女自身が上達を願うのならばそうしても良いと思う。
現実はそう甘くもないが、願い事をする、ということが女性にとって神聖なものであることに違いはないだろう。
娯楽との分別が難しいところではあるが。


「織女はこと座のベガ、牽牛はわし座のアルタイルの漢名で、和名では織姫・彦星と言います。此方の方が谷山さんには馴染み深い名でしょう?」
「そうだねぇ。織女とか牽牛とか、初めて聞いたし」


途端に戻った話題に首を傾ぎながらも、彼女が頷く。
英名や和名は耳にすることがあっても、漢名は何かきっかけがなければそうそう覚えるものでもないだろう。
自分自身、中国の生まれでなければ知らなかったはずである。


「実はこの星伝説には天文学的な裏付けもあるのですよ。きっとあなた好みの話しです」


そう言うと、彼女は再び瞳を煌めかせ、先を乞うように見上げてくる。
愛らしいことこの上ないが、未だ雨の降り続く空をちらりと見やり首を振った。
外気に晒された肌は時期的に冷える事はないが、じっとりと湿気が張りついて良い気分でもない。
こうして触れ合うことはここでなくても出来るのだから。


「今日はもう遅い。雨の話も含めて明日にでもしてあげましょう」
「えぇーっ!ひどい、そんなこと言われたら気になるじゃんか!」


ぷくっと頬を膨らませた彼女に、右腕に留めた時計を示す。
時刻はもう一時を回っていて、語り合う時間はとうに過ぎている。
後はベッドで、と言いたいところだが、まだやるべきことも残っているだろう。
それはきっと、彼女が楽しみにしていた筈の大切な作業だ。



「願い事は良いのですか? わたしを待っていてくれたのでしょう?」
「それはそうだけどー。なんかもやもやで気持ち悪いよう」


むっと眉を寄せる彼女と唇を触れ合わせ、子供を抱くような体制で立ち上がる。
ハーフパンツに守られた腿が晒されることはなかったが、恥じらった彼女は悲鳴を上げて首筋にしがみついてきた。
下履きを脱いで肘でテラスの窓を閉めてから、彼女をフローリングにゆっくりと下ろす。
彼女の後を追っていた先程は気がつかなかったが、ふと見ればガラステーブルの上に短冊が綺麗に並べられていた。


「リンさんの願いごとは?」


毛足の長い絨毯の上にぺたりと腰を下ろした彼女が振り返る。
切り替えの早い彼女は早速ペンをとって赤い短冊を一枚引き寄せた。
その隣りに腰を下ろし、テーブルに片肘をついて彼女を見詰める。


「あなたはなんと?」
「あたしが先に訊いたんだから、教えてくれなきゃ教えないー」


ぷいっと視線を逸らせた彼女に苦笑が零れる。
いくつになってもこんな所は変わらないのだなと思った。
何があっても変わらない、そこが彼女の良いところの一つであるのだが。


「そうですね、わたしの願いは」


そこで言葉を切って、ついた肘の掌に頬を乗せる。
自分の願いは何であろう。
思いつくものはどれもありきたりで平凡で、けれどかけがえのないものだ。
その全てを願うのは欲張りな気もするが、叶うのならばそうしたい。
けれどその中でも一番強く願うのは、最期の時まで幸せであること。

思考を巡らせていると、待ちきれないとばかりに彼女が右腕を取って揺すった。
ついた肘をテーブルから離して彼女の頬に自分のそれを擦りつける。
暖かい滑らかな頬は、ぎゅっと押し付けるようにして擦るとふわんとはじき返してくる。
その温もりは、彼女が生きている証し。
自分の傍らに存在しているという証明だ。


「あなたが私よりも生き永らえること」
「リンさんっ!」


声を荒げ瞬時に強張った彼女の肩を回した腕で包み、ゆるりと首を振る。
怒っているのだろう、抗うように身体を捩らせた彼女を強引に引き寄せた。


「…と、言いたいところですが。それでは心配で逝けません」


苦笑と共にそう零せば、怒りをそのままに彼女が小さく唸った。
それほどまでに想われているのかと思うと、声を上げて笑いだしたくなる。
彼女と一緒にいると毎日のように思うのだ、幸せとはこういうものかと。
背中を丸めて彼女の頬に口づける。
耳元に唇を寄せて、奥底に吹き込むように願いを告げる。
叶うことならば、私の願いは……



――永久の眠りにつく時は、あなたと共に。




end




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  1. 2010/07/07(水) 00:28:00|
  2. リン×麻衣
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windfall 前編




地下駐車場に停めた車を降り、キーロック式のエレベーターに乗り込む。
早く帰ると言っておきながら、今夜は随分と遅くなってしまった。
連絡の一つも入れられたら良かったのだが、同時に事務所を出た上司が同乗した手前、結局マンションに辿り着くまで連絡出来ず仕舞いである。
もしかしたらもう帰ってしまっているかも知れない。

溜め息を一つ零し、目当ての階に辿り着いたエレベーターから足早に部屋へ向かう。
通路側に窓はないため部屋の様子は伺えない。
深夜ということもあり、カードキーを差し込み静かに扉を開いた。

足元を照らす仄かなオレンジの明かりに頬が緩む。
玄関先には小さな女性らしいサンダル。
廊下の先に見えるリビングの磨りガラスのドアからは、煌々と明かりが漏れていた。

彼女に手間を掛けさせないよう脱いだ革靴を揃えていると、背後でリビングのドアが開く音がする。
振り返れば、ほわんと微笑んだ愛しい彼女。


「おかえりなさい、リンさん」
「ただいま帰りました。遅くなってすみません」
「大丈夫だよ、今やっと終わったところなの」


終わったと言われても心当たりは何もなく、首を傾ぐと裸足の彼女が飛びつくように腰元に抱きついてきた。
それを軽く抱きしめてやり、見上げる額にキスを一つ。
手を引かれて歩き出す。


「今日、何の日か知ってる?」
「日付を跨いだ今日ですか?」
「そそ、七月七日」


にこにこと笑みを浮かべながら問いかける彼女に小さく頷く。
用意していたというのは短冊か何かだろうか?
しかし後ろ手にドアを閉めたリビングには特に何も見当たらない。
七夕ですね、と頭を撫でてやると、彼女は嬉しそうにはにかんでテラスへと続く窓を指差した。


「笹の葉サラサラ、おっきいの!一緒に見よう?」


繋いだ手がするりと抜けて、彼女はテラスへと姿を消した。
離れた温もりが恋しくて、ジャケットをソファへ放るとすぐさまその後ろを追いかける。
開け放たれた窓からは湿気交じりのぬるりとした風が部屋へ流れ込み、レースのカーテンをひらひらと揺らす。


「じゃーん!」


窓に手を掛けて外を覗き込むと、得意気な彼女がテラスの端を指差した。
視線を向ければ彼女の身長など優に超した笹竹がテーブルの向こうに飾られていて、思わず息を漏らす。


「これは…すごいですね」
「でしょう? ぼーさんにおねだりしちゃった!」
「彼がここまで?」
「ううん。流石に運べないから宅配で。そんで、真砂子と綾子と、頑張って括ったんだけど…結構見れるもんでしょう」


得意気ににんまりと笑う彼女の腰を引き寄せ、ぎゅっと抱きしめた。
裸足のままテラスに下りた彼女を両腕に抱え上げ、下履きを履いて外に出る。


「七夕飾りが天の川へ流れ着くと、その者の切なる願いは永久になる」
「願いが叶うってこと?」
「そうです。七夕の翌日、短冊を海や川へ流すんですよ」


暫く忘れていた一説を紡ぐと、彼女ことんと首を傾いだ。
笹竹に短冊を飾り願い事を書くことで終わるのが一般の七夕なのだろう。
彼女もそれを思い描いていたに違いない。
地域によっては七夕送りに由来するねぶたや竿燈祭りもあるが、これは少々時期もずれていて、地元の人間ですら知らずに過ごしている者も多い。


「禊と一緒です。雨を清めの水として、短冊が流れ消えていくほどの大雨が降ると良い。これぐらいの雨ではいけませんね」
「でも、雨が降ると織姫と彦星が会えなっちゃうんでしょ?」


テーブルを囲ううちの一つの椅子を引いて腰を下ろした。
抱えた彼女に膝の上を跨がせ、向き合うように抱え直す。
片手で背中を支え、ふっくらとした頬に触れる。
温かく柔らかな手触りに惹かれるように反対の頬に口づけた。


「日本ではそう伝えられているのですか?」
「うーん、あたしが聞いたのはそんなんだったけど」
「では、昔話をしてあげましょう」


そう言うと、彼女は大きな瞳を瞬かせて嬉しそうに頷いた。
好奇心旺盛な彼女は自分の知らない事や物などに大いに興味を示す。
それを危なっかしいと感じる時もしばしばあるが、吸収力の早さや順応力には何度も驚かされた。
さて、自分は彼女の気を引くに値する引き出しを持ち合わせているだろうか。


「それは中国の後漢時代に遡った話しです」


その語り出しに、彼女は真剣な表情で一度頷いた。
真面目に話しを聞く体制である。
なかなかにちょっかいを掛けにくくなり、苦笑が零れた。
両手を彼女の腰に回して、小さな身体が転がらないよう指を組む。


「とある夫婦が暮らしていました。天帝の娘の名は織女(しゅくじょ)、牛飼いの名は牽牛(けんぎゅう)。二人は周囲が羨むほどの仲睦まじい夫婦でした」


しとしとと雨の降る闇の中、微かに彼女の頬が赤く染まる。
憧れを抱く夫婦の在り方なのだろう、嬉しそうにはにかんだ彼女の鼻先にキスをした。
結末は違えど、自分もそうありたいと願っているのだと想いを込めて。


「しかし互いが互いに夢中になり過ぎた為に、そう時を経ず仕事すら手につかなくなってしまったのです。余りの暴落ぶりに二人はとうとう天帝の怒りを買い、天の川を隔てて東と西に引き裂かれてしまいました」


感情が分かりやすい彼女がぐにゃりと顔を歪める。
しかしリンの奥底には、同意できる部分があるのだ。
出来る事ならば一日を、一年を、一生を、彼女と二人きりでいられたら。
何処かに閉じ込め自分だけしか見えないようにしてしまえたら、どんなに幸福だろうと思う。
彼女に触れ、その甘い声音を聴き、豊かな表情を飽きることなく見詰めて。
そうして一生を過ごせるという絶対的な確約を提示されたら、自分はどんな禁忌でも犯すだろう。
それは決して彼女には言えないけれど。





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  1. 2010/07/07(水) 00:26:54|
  2. リン×麻衣
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恋煩い7

side-mai



やっと辿り着いたその場所で、目許を覆われていたハンカチを解く。
促されて目を開けると、視界いっぱいに広がる紫の花畑。


「うわぁ!すっごい綺麗!」


興奮が勝り人前にも関わらず大声を張り上げて注目を浴び、注がれた視線に一瞬全身が強張った。
しかし彼はそんなことを気にした様子もなく、背後から肩を支えてくれていた手を頭へと移しゆっくりと撫でてくれる。
斜め上を見上げると薄く微笑んだ彼にいつからか見下ろされていて、一瞬にして頬に熱が上がった。
羞恥心と高揚感で花壇の方へ駆け出したい気持ちを抑え、ゆっくりと花畑を見回す。


「ラン科の花で、シラン、というそうですよ」
「シラン?」


鸚鵡返しに首を傾ぐと、彼はこくりと頷いた。
ランに限らず草花に色々な種類があることは知っているけれど、初めて聞く名前だ。
リンの手が離れたのを見計らい駆け足で花壇に近付いてしゃがみ込む。
近くでじっくり見ると、少々下向きの小さな花が所狭しと溢れていて自然と笑顔が零れた。
綺麗だとかすごいだとか、そんな普通の賛美の言葉しか出てこない。
そっと顔を近づけてみれば、ふわりと柔らかな芳香が鼻を掠めた。
そんなことをしていると、目を閉じているうちに聞きなれてしまったリンの靴音が背後に近付いてくる。
花言葉は――と、小さく紡ぐ彼に顔を上げた。
立ち上がって振り返るとリンがすぐ目の前に立っていて、すこし驚いた。


「互いに忘れないように」


今日の事を言っているのだろうか。
そんな疑問が頭に浮かんだけれど、そう訊くのも躊躇われた。
いや、訊けなかったというのが正しいのかもしれない。
何故なら、優しく目許を緩めたリンの表情に見惚れてしまったから。
初めて見たそれに、小さく開いた唇から小さく息を吸い込む。
呆然と見上げていると、目線を合わせるように腰を折ったリンの背後でカサリと小さく音が鳴る。
それが何かを確認するような余裕もなく、すぐ目前に迫ったリンの顔から逃れるように少しだけ後ずさった。


「最初は誕生石を贈ろうと思っていたんです。ですが暫く考えて、あまり高価なものは受け取ってもらえないんじゃないかと思って」

苦笑した彼に、何がなんだか分からなかったけれどその通りである事は間違いないので、躊躇いがちに小さく頷く。

――贈る? あたしに?

固まった思考で辿り着いた答えに一気に頬に熱が上がった。
いつとも知れない会話の中でふと口にした誕生日を覚えていてくれた。
だから彼は、今日この日を選んでくれたのだろうか。
嬉しい、恥ずかしい、大きな声で力の限り叫び出してしまいたい。
あたしはこんなふうに幸せでいいの?
思わず泣きそうになってぎゅっと目を閉じる。


「ハイブリッドティーローズの、サンシルクという薔薇です。大まかにで申し訳ないのですが、黄色いバラも誕生花だと聞いたので」


その言葉に瞼を上げれば、黄色い薔薇の花束を抱えたリンが困ったように微笑む。
スッと自然な動作で差し出されたそれを受け取ると、微かに残ったリンの温もりとその花束の重さに涙が零れた。
大輪の薔薇に埋もれるようにしゃくり上げると、長い指先が頬を伝った涙の軌跡を優しく拭ってくれる。
何度も何度も頬に触れるリンの熱にゆっくりと目を閉じた。


「本来なら六月七日の誕生花はアサギリソウなのですが、すごく増えると聞いたので返って迷惑になるかと。花を楽しむものでもないようでしたので」


大きな掌が腰と後頭部に回って、花を押し潰さないようやんわりと引き寄せられる。
薔薇の強い香りに混じって、リンの唇が額に届く。
一度だけ触れて離れていく唇に引き摺られるように目を開けて彼を仰いだ。
息が混じり合う程の距離で見詰められたけれど、深い色の瞳を見れば不思議と羞恥は吹き飛んでしまった。


「誕生日おめでとうございます」
「うん、ありがとう」


涙を堪えて発すれば、それはそれはすごい鼻声だった。
一瞬面喰い、顔を見合わせて笑い合う。
髪を梳くように撫でるリンの掌に頭を乗せて首を反らせ、珍しく声を上げて笑う彼に微笑みかける。
あの日、彼と会えて本当に良かった。
会う機会なんていくらでもあったのだけれど、あの日だったから良かった。
きっとこの先も一緒にいられるのだろうと思ったら、幸せすぎてどうにかなってしまいそうなほど嬉しい。
ゆっくりと近づいてくる彼の顔に再び目を閉じる。

唇に触れる柔らかでしっとりと濡れた温もり。
安心できて、色気すら感じるほどの男の香り。
骨張った力強い大きな手に、迷いなく自分を導く長い脚。
すっぽりと包みこんでくれる見上げるほどの体躯。
流れるような指先によく馴染む細い髪。
今は自分だけを見てくれる漆黒の瞳。

全てが自分のものだなどとおこがましいことは思わない。
けれど、自分の全てを彼に捧げても良いと心から思っているから。
だからきっと彼の全ても自分のものなのだ。

ふと目を開けた瞬間彼の瞳には自分がめいっぱいに映っていて、自分の瞳もそうであれるようにじっと見つめ返した。
啄ばむように数回触れた唇と共に、彼の温もり全てが離れて行く。
それが寂しくて、花束を片手に抱え直すと彼の手に指を絡ませる。


「もう目隠し、しなくても良いんだよね?」


握り返してくれた手が嬉しくて、悪戯に瞳を眇めてそう問う。
彼は小さく笑って頷いて、そうしてゆっくりと歩き出した。
さっきまでは見えなかった周囲の景色が、今の自分の全てだ。
目に映る全てがいつも以上に美しくて、儚くて。
これからどんなに時が経っても、自分の生涯が永劫だとしても、この日は一生忘れないでいられるに違いない。


――互いに忘れないように。


耳に蘇った声音に、彼もそうであったら良いと思った。
絶対忘れない、どんなことがあっても、絶対に。


「薔薇はギリシャ時代に、愛・喜・美・純潔を象徴する花とされたそうですよ。それが起源となって、花嫁が結婚式に薔薇を持つ風習となったようです」
「そうなんだ?」


ふと立ち止まった彼を見上げればその顔は興味の引くおもちゃでも見付けた子供のように楽しそうに笑っていて、思わず頬が引き攣った。
こんな表情の時の彼は危険だ。
今までの経験から頭の中に大きく響き渡る警鐘に仰け反って距離を取ろうとする。
けれど繋いだ手に引き寄せられて彼の胸元に思い切りぶち当たってしまった。
うぐぅ、と情けない声で呻くと、腰を屈めた彼の声音が耳元で囁く。


「その時は、もっと大きなバラにしましょう?」





麻衣はどくんと跳ね上がった心臓に、やっぱり煩い、と真っ赤に染まった顔を顰めた。





end




  1. 2010/07/07(水) 00:00:00|
  2. リン×麻衣
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恋煩い6

side-lin



彼女の唇は微かに触れただけですぐに離れていったけれど、それは今までのどの口付けよりも甘く愛しいものだった。
涙に濡らせた頬を染める彼女が、恥ずかしそうにはにかむ。
こうして彼女から触れられたことは以前に一度だけあったが、その時はすぐに逃げられてしまった。

臆することなく彼女に触れられるというだけではなく、自分が望めば彼女からも与えられるという立場を得られたのは、言葉では言い表せられないほどにとても幸福なことだ。


「あたしも、リンさんが好き」


彼女の声音が耳の奥に甘く響く。
涙で微かに強張った彼女の滑らかな頬に触れて、怖がらせないように再び顔を近づけていく。
もう少しだけ、と小さく囁くと、彼女はぱっちりと大きな瞳を見開いて、そうしてそっと瞳を閉じた。

瞼に指先で触れて、ふっくらとした彼女の唇に己のそれを重ね合わせる。何度も角度を変えて彼女に触れた。
噛みつくように、掠めるように、擦りつけるように、彼女の唇の形を確かめるように、何度も何度も。


「っふ、くるし」


ずっと息を詰めていたのか、唐突に顔を背けた彼女が肩を揺らして咳き込んだ。


「こういう時は、ここで息をするんですよ」


涙目で荒い呼吸を繰り返す彼女の背中をゆるゆると摩りながら鼻の頭をそっとつつくと、彼女は小さく唸って首を振った。


「だって、少しだけって、言ったのに」


むぅ、と頬を膨らませた彼女に見上げられ、首を傾いだ。


「少しでしょう?まだ途」
「も、無理っ!」


言いきる前にぶんぶんと首を振って、顔を真っ赤にした彼女が本当にやんわりと胸元を押し返してくる。
これしきの抵抗でどうなるものでもないのだけれど、思い切り拒絶しないだけ相応に彼女も自分を好きでいてくれるのだということが伝わり自然と笑みが浮かぶ。

正直まだ触れていたいし、触れるだけの口づけでは足りないぐらいだ。
強引に迫れば許してくれるのだろう、けれど、今はこれで我慢するとしよう。
こんなに可愛らしい恋人が手に入ったのだから。







「そんで、これはどういうことかなぁ」


不満げな彼女の声音に思わず苦笑を洩らすと、彼女の手を引いて歩き出す。
せっかく拭った脚が汚れるからと、思惑通りに暴れる彼女を抱き上げて駐車場まで戻ってきた。
やっと解放されたと思ったらこれだ、なんて不貞腐れている彼女を多少強引に植物園へと連れ出す。
ゲートを潜って園内をゆったりとした足取りで歩いていると、時折すれ違う人が麻衣の姿を見て不思議そうに首を傾いだり、小さく笑ったり、人懐こそうな夫人なんかは「あらあら、頑張って」などとリンに手を振ったりもした。


「全っ然見えないんですけど」


恐々と歩くその足もとに気をつけてやりながら、目許を覆ったハンカチをぐいぐいと引っ張る彼女の手元を窘めた。


「もう少しですから、我慢してください」


せっかく植物園にまで来てこれもどうかと自分ですら思うが、それでも彼女に喜んでもらえたらという想いからなのだし、ちょっとくらい目隠しをして歩かせたからといってどうなるものでもないだろう。
園内は目的の場所に着いてから帰りがてらにでも充分見て回れる広さだし、そう問題もない。
ただ少し、好奇心旺盛な人だかりがまばらに後ろを着いてきているだけで。


「良い匂いだね。この間買ってきた紅茶の匂いと似てるー」


視界が暗転している分、呑気にすんすんと鼻を鳴らせる彼女の鼻を悪戯に軽くつまんでやると、驚いた彼女は盛大に悲鳴を上げてつんのめった。
前方へ傾いた彼女の身体を咄嗟に受け止める。


「もうっ!びっくりしたぁ」
「すみません」


名残り惜しいが柔らかな身体をそっと離して真っ直ぐに立たせてやり、再び歩き出す。
あからさまにむっとした表情だった彼女も、ぎゅっと手を握れば照れたようにはにかんだ。

話しかけれるとふっくらとした頬にえくぼが浮かぶ。
聞こえる物音に整った眉を上げて窺うように首を傾ぐ。
強い香りの花壇の前では小さな唇を震わせて感嘆の声を上げる。
段差では不安そうに腕にしがみ付いて困ったように表情を曇らせる。

彼女が見詰めていることに気付かないのを良い事に、その多彩な表情や仕草を堪能しながらゆっくりと歩いた。

こんなふうに長い時間彼女を拘束したのは初めてで、自然と目許も緩む。
願わくば、この先ずっと彼女が傍らで笑っていてくれたら良い。



途中、園内で造花やリーフなどを販売しているテナントへ寄り、店頭で彼女に動かないよう指示すると注文していた花束を受け取る。
思ったより大きいそれを抱え彼女を振り返ると、店主である老人に無言でメッセージカードを差し出された。
暫し考え短く『happy birth day』とだけ書き添えると、店主に軽く会釈をしてラップと薄いピンクの包み紙の間にそれを挟む。


「お待たせしました」


急に触れて驚かせないよう静かな声音でそう声を掛けると、ぽつぽつとテナントの周囲に散っていた人間が感嘆の声を上げる。
訝しげに眉を顰めたが花束のせいかとすぐに思い至り、彼女に聞こえないように溜め息を吐いた。

遠巻きに見ている数人はこの先の行方が気になって仕方がないようだ。
どこかへ行って欲しいのはやまやまだが、彼女が居る手前、声に出してそう言う訳にもいかない。
小さく息を吐くと、野次馬に向かい唇に人差し指を当てて黙っているようジェスチャーする。


「行きましょう」


花束を背中に隠すようにして、不安そうに立っている彼女の肩に手を回す。
促されるがままに歩き出したその肩をぎゅっと引き寄せると、羞恥で小さな身体を強張らせた初心な彼女が小さく悲鳴を上げた。






  1. 2010/07/06(火) 07:56:20|
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恋煩い5

side-mai



きちんと残さず食べてくれるのだろうなとは思っていたけれど、彼は驚くほど綺麗に中身をたいらげてくれたので麻衣は満面の笑みを零した。
バスケットを片付けて、お腹いっぱーい、と羽織ったカーディガンを脱ぎ捨てげんなり肩を落とした麻衣に、リンが珍しく小さく笑い声を上げ手招きする。
太い木の幹に背中を預け長い脚を交差させた彼の元へ四つん這いで近付くと、軽く脚を広げた彼にひょいと持ち上げられて、片腿の上に座らされた。
重いから、と慌てて身を引こうとしたけれど長い腕にぎゅっと羽交い絞めにされ、暖かい体温と鼻を擽る彼の香りに大人しくそこへ収まる。


「久しぶり、ですね」
「ん、そだね」


背中を抱えた腕を伸ばして頭を撫でられ、小さく頷く。
長い時間こうして二人でいるのも、抱きしめられたのも、再会したあの日以前のこととなると、本当に久しぶりだった。
彼は麻衣の腰をしっかりと捕まえていた掌を、脇腹から肩、二の腕、手首へと擽るように滑らせて、最後に辿り着いた麻衣の指先を絡め取る。
リンの大きな掌と長い指が自分の指先をすっぽりと絡め取るのに口元が綻んだ。


「変化した環境の中で、あなたは新しい友人に恵まれ、きっと全く変わった新しい生活を楽しんでいるのだと思っていました。私の手はもう必要ないのだと」


リンが言葉を紡ぐたびに額に押しつけられた彼の顎が動くので、軽く身体を捩って彼の首筋にすり寄った。
こめかみに彼のゆったりとした脈動が伝わってきて、満腹の麻衣を眠りに誘う。

彼を必要ないなどと思ったことはないのに、どうしてこんなふうになってしまったのだろう。
彼に寄せていた想いが恋だというのは分かっていたのに、恐ろしいほどそれに侵食され患っていたのだということは彼に再会したあの日まで全く気がつかなかった。

勘違いしてしまいそうなほどに構ってきたリンも、同じであったら良いのに。
そう願いを込めて、指先に絡んだリンの長い指を左手で絡め取り、彼の心臓の上に右手をそっと乗せた。


「私が浅はかでした」
「否定はしないけど」


つむじの辺りに頬を寄せられ、大袈裟な言葉と真摯な彼の声音に麻衣は肩を震わせてくすくすと笑う。


「友達も沢山出来たし、専攻の先生もすごくいい人なんだ。大学、楽しいと思う」


事務所やイレギュラーのみんなの手を借りて無事に入学した大学には、同じ高校からの生徒も多数在籍しているし、言葉に偽りもなく新しい友達だって増えた。
以前のようにどっぷりバイトに浸かる日々でもなくきちんと付き合いもあったので、人懐こく愛想の良い麻衣が周囲の人間と友好な関係を築くのは容易いことであった。
専攻した心理学の講義もとても興味深い内容のものばかりだし、その担当教授も優しく聡明で生徒からの支持も非常に高い素敵な人だ。
大学生活において不満など微塵もないし、もしあるとしてもそれは自分の身勝手だと分かっている。


「でもなんか違うの。リンさんのせいだよ」


何が変わったのかと考えれば、それはすぐに明確な意思を持って自分の中に浮かび上がる。
ずっと支えてくれていたリンが傍にいないからだ。
あの時の彼は自意識過剰ではないと言いきれるほどに麻衣に対して優しく甘く、それは麻衣が淡い希望を持って彼に接するのを大いに手助けし、そうして新しく始まった生活にどんよりと暗い影を落とした。


「すみません」
「それってどういうすみませんなの?」


噛み締めるように低い声音で謝罪の言葉を漏らす彼に、思わず声が強張った。
頭を撫でてくれていた彼の手の動きがぴたりと止まり、なんだか無機物が頭の上にただ乗せられているようなおかしな感覚になる。
落ちた沈黙に喉元を畏怖がせり上がってきた。
ああ、自分は本当に恋をしているんだ、と思った。
心臓がいつにない速さでどくどくと鼓動を繰り返す。
恋に患ったそこは酷く煩い。
彼の胸元に置いた手をぎゅっと握りしめる。早く時間が過ぎれば良い。


「気付いてあげられなくて。それと、あなたを一人にさせたことも」
「リンさんがいないと駄目にしたのはリンさんなんだから、ちゃんと責任とってくんないとやだよ」


苦笑と共に落ちてきた言葉に、間髪いれずにそう返す。
勢いよく見上げた彼の表情はとても優しくて、じわりと視界が歪んでいく。
声を上げて泣きそうになるのを息を詰めて堪えると、瞳に溜まった涙がぼろぼろと零れていった。
彼の表情は滲んだ視界では見えなかったし、輪郭すらも危ういそれを見ている事も出来なくて俯いた。


「そのつもりです」


暫しの沈黙の後、優しい声音と共に額に落とされた口付けにしゃくり上げる。
次から次へと溢れてくる涙は彼のシャツにじんわりと滲み、それぞれが形の違う濃いグレーの染みをいくつもいくつも作っていく。


「距離を置いたのはあなたの為だ。日に日に大きくなるあなたへの気持ちが、まだ先の長いあなたの枷になると思ったからです。でも、あの日あなたに会って、それは間違っていたのだと知った。あんなふうに泣かせると分かっていたら」


背中を支えていてくれた腕にぎゅっと抱きしめられ、彼との距離がこれ以上ないくらいに狭まる。
彼の胸元に額を擦りつけるような体制になると、絞り出すような熱い吐息が耳元を過ぎて身体が跳ねた。


「今からでも間に合いますか」


その言葉と共に絡めていた指先が解かれ自由になる。
彼の左手が濡れた頬をゆっくりと数回撫でて、拘束が緩んだと思ったら顎を持ち上げられた。


「あなたのことが好きです。ずっと前から」


未だ流れ続ける涙を掬うように彼の唇が目許に触れる。
何度も何度も啄ばむように繰り返されるそれにぎゅっと目を閉じると、目尻から目頭へ、鼻の頭へ、頬、そうして唇のすぐ横へと、彼の熱い唇が慈しむように移動してゆく。


「一緒にいたい」


駄目ですか、と少し困ったような表情の彼にすぐ間近で視線を絡め取られる。
そっと前髪を掻き上げられて、額と額がこつんと音を立てて触れ合った。


「いじわるだ」


彼の背中に縋りつくように腕を回して、小さく笑った。
駄目だなんて思ったりしない。
返事だってきっと分かっているはずなのだ。


「あなたの恋人にしてください」


麻衣はその言葉に目許を綻ばせると、ゆっくりとリンの唇へキスを落とした。





  1. 2010/07/06(火) 04:12:24|
  2. リン×麻衣
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恋煩い4

side-lin



「ひろーい!」


そう言うなり視界いっぱいに広がる緑の絨毯めがけて彼女は走りだす。
繋いだ左手がするりと抜けて、一気に体温が下がったような気がした。


「そんなに走ったら転びますよ」
「だいじょーぶ!」


均等に刈られた草の上をミュールで器用に走る彼女を、ゆっくりとした歩行で、しかし大股でなるべく距離が空かないように追いかける。
今にも草の上に転げそうな彼女をハラハラとした心持ちで見つめた。
そのうち本当に寝転びたいなどという意図をもってダイブしそうなほどのはしゃぎように、目許が綻ぶ。
動きやすい服装でスニーカーでも履かせてやれば良かったかと思ったけれど、鈴の音のように愛らしい笑い声を上げる彼女がスカートの裾をはためかせて走る様子を見れば、そんな考えも吹き飛んでいった。


「リンさん早くっ!向こうにおっきい木があるの」


そう言って一度立ち止った彼女は進行方向を指さしながら振り返ると、リンが頷くのを確認するなり再び走り出した。
遅れないように彼女を追いながら、ふと胸ポケットの存在を思い出す。
確か出掛けに彼女のデジタルカメラを入れた筈だと、腰に巻いていたシャツから片手で器用にそれを探り取り出す。
電源を入れ簡単に採光の調節をしてから、歩きながらレンズ越しに彼女を追いつつちょうど良い倍数を設定する。


「谷山さん」


そう大きな声でもなく呼び掛けたが、彼女は敏感に反応しその場でぴたっと立ち止まると、瞳を瞬かせて不思議そうな顔で振り返った。
その瞬間を逃さずにシャッターを切ると、陽の下でフラッシュが光り小さな電子音が鳴る。
それと同時に奇声を上げた少女が駆けてくるのがレンズ越しに見え、愛らしい少女が振り返る瞬間の画像をさっと確認すると、素早く保存して電源を落としズボンのポケットにねじ込んだ。


「リンさんっ、今のやだ!」
「大丈夫、きちんと可愛らしく写ってますから」
「嘘だっ」


頬を真っ赤に染めて憤慨する彼女の頭をぽんぽんと優しく叩いてみるが、ぶるぶると首を振って抵抗されてしまい、腰を屈めて目線を合わせた。


「嘘じゃありません。私が撮ったんですから」


幼い子供に言い聞かせるようにそう言うと、彼女は訝しげに首を傾ぐ。
全く納得いかないという表情の彼女に、芽生えた悪戯心がふわりと咲いた。


「理由を詳しく聞かせて差し上げましょうか?」


にやりと笑って彼女の頭に乗せた手を頬に滑らせると、彼女はびくんと身体を震わせて飛び退く。
こういう所だけは何故か勘の良い彼女は、そのままニコッと笑うと首を振って無言で歩きだした。
事細かに説明して彼女の狼狽する様を存分に見たかったのはやまやまだけれど、あまり追い詰めても目的を達成するまでに逃げられてしまいそうだ。
なんとも面白くないが仕方がない。


「残念ですね」


一歩後ろから彼女の耳元に小さくそう吹き込むと、彼女は顔を真っ赤にしてふるふると首を振った。
すぐにも走り去ってしまいそうな彼女の右手を逃げられる前に掬い上げ、彼女の目指していた大木へ向かい今度は二人で並んで歩き出す。

ピクニックシートの上で弁当を突いている家族や、小さなゴムボールやフリスビーで遊んでいる子供たち、日陰に並んで横になったり自分たちと同じように手をつないで散歩を楽しむ男女。
広々とした草原を見渡すと、言うほど多くもないが結構な人数が此方へ赴いているようだった。
そろそろ昼時ということもあるだろうが、これならば今の時間は植物園の方が空いているのだろう。
調べた限り園内には食事という程の食事処はないようであったし、このせっかくの天気だ、きっとそう時間も掛からずに訪れている人間のほとんどがここへ集まってくるに違いない。


「何か遊ぶもの、持ってくれば良かったねぇ」


結構な距離を歩いて辿り着いた大木の根元、紙袋から出した彼女好みの花柄のピクニックシートを協力して広げていると、子供たちの遊ぶ様を見ながら彼女がふわりと笑う。
彼女の事だからそう言いだすのでは思っていた矢先だったので、思わず吹き出してしまった。
それに怒るでもなく彼女は小さく笑うと、裸足でシートの上に降り立ち、草地に置いたバスケットを近くへと引き寄せ腰を下ろした。


「うわ、汚れたなぁ」


足を伸ばして座った彼女は自身の足のつま先を見るなり、きったなーい、とけたけたと笑った。
その汚れ様はなだらかな斜面を登っていたことよりも草原を駆けまわっていたせいであるようで、彼女自身の足よりもミュールの踵にべったりとこびり付いたほんのり濡れた土がそれを物語っている。


「食事の前に綺麗に拭いてしまいましょう」


ピクニックシートを入れていた紙袋を漁り、目当てのビニールの中からあらかじめ数枚用意していた濡れたタオルを取り出す。
スニーカーを脱いで腰に巻いたシャツを取り払い、彼女の横に片膝をついて小さな足に手を掛けると、彼女は盛大な悲鳴を上げて脚をたたんだ。


「いいいい、いいよ!自分でやるからいいっ!」


ぶるぶると首を振りながら真っ赤な顔で抗議する彼女に苦笑が漏れる。
ぐっと身体に引き寄せるように脚をたたむものだから、ワンピースの裾から太腿の大部分が覗いていて、非常に目に毒である。


「汚いから触っちゃダメ!」


譲るつもりはなかったが、彼女の困ったような、縋るような視線に負けてタオルを明け渡した。
汚いと思ったら手なんか出しませんよ、と溜め息混じりに小さくごちると、ぐいぐいと思い切りよく土をぬぐっていた彼女は顔を上げて照れたようにはにかむと、すぐに視線を落とす。


「ありがと。リンさんのそういうとこ、好き」


聞こえるか聞こえないかの声音でぼそりと呟いた麻衣に、リンは彼女の小さな身体を掻き抱きたい衝動を必死に耐えると引き攣った笑顔で頷いた。





  1. 2010/07/06(火) 04:07:09|
  2. リン×麻衣
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恋煩い3

side-mai



薄いピンクのキャミソールワンピースと白のカーディガン、小さな造花の飾りがついたヒールの低いミュールを選んでもらったら、これが何を悩んでいたのかと思うほど愛らしく決まって、麻衣はご機嫌だった。
ずっしりと重たくなったショルダーバッグを肩に掛けると中身を訊かれ、中身を並べてテーブルに出すと、化粧ポーチの中から薄いパールピンクのリップ・薄手のハンカチを麻衣のカーディガンのポケットへ、小型のデジタルカメラを彼の胸ポケットへそれぞれ押しこむと、行きましょうと言われて笑ってしまった。
電源を落としてテーブルの上に置かれた携帯を気にしながら、もし迷子になったらどうするの? と訊いたら、こうしていればなりません、と玄関から手を引かれて車に乗り込んだ。

まさか作業用のバンで来るとは思っていなかったけれど、彼の運転する車が作業用のバンでないことに目を瞬かせてしまう。
車の事は詳しくないから車種などは分からないけれど、一人用にしては随分大きな車だったので何故か尋ねたら、ナルが地方へ行く時に使っていたのだと言われ納得した。


「顔を出してはいけません、危ないでしょう」


都内の風景を30分ほど走ると随分と景色が変わり、瞬間的に抜けていく風景がすごく綺麗で手を伸ばしたり乗り出したりしていたら窘められた。
はい、と行儀よく返事をして振り返ると、少し困ったような表情のリンが此方を見ていて噴き出してしまう。


「これじゃあ子守りみたいだねぇ」
「おや、まだ義務教育中でしたか」


窓を半分ほど閉めてリンを覗きこむと悪戯っこのように目を細めてそう言われて頬を膨らませた。


「冗談ですよ」


タイミング良く信号で車が止まると、大きな掌に頭をひと撫でされて頬が緩む。
ついこの間まで日常だったものが、なんだか泣きそうなぐらい懐かしい。


「子供だと思っていたらデートには誘いません」
「デート?」


車が発進すると同時にスッと視線を逸らされ、それを追いかけるように彼の横顔を覗き込んだ。
黒のカーゴパンツを履いて、グレーのTシャツの上に白い麻のシャツを羽織った彼は、普段の様相とは似ているようで違うけれど、すごく魅力的に映った。
身体のラインにピッタリとフィットしているパンツやシャツの上からでは、普段あまり分からない肉付きの良さや身体の滑らかさなんかもはっきり分かって、意識していない訳ではないけれどやっぱり男の人なんだなと感じた。

スーツ姿の彼もすごく大人っぽくて勿論好きだけれど、私服姿はそれとはまた別でなんとも言えない気持ちになった。


「違いました?」


端正な横顔に見惚れていると至極真面目な声でそう問われ、慌てて首を振る。
相手がリンなだけにただのピクニックではないだろうなとは思ってはいたけれど、さすがにデートだというつもりもなかった。でも彼がそう言ってくれるのならそうであったら良いと思うし、そうでありたいとも思う。


「あなたも知っている通り、子守りは苦手なんです」


くすりと笑った彼がことのほか楽しそうだったから、言い返そうと思って開いた口を大人しく噤んで一緒に笑った。
繰り返される言葉の応酬や麻衣に接する態度が子供に対するような扱いでも、手をつないで並んで歩いていれば傍から見たら立派なデートに見えるだろう。
彼はスタイルも良くて端正な顔立ちだし、たった一日でも想いを寄せている彼と恋人のように歩けるのならそれはそれで満足だった。

胸を張って素敵な恋人を見せびらかすように自慢げに歩いてしまおう。
そんなことを考えたら、いつもより意識して子供っぽく振舞い誤魔化していた緊張も霧散し、自然と笑顔が零れた。


「ね、リンさん。どこ行くの」
「着いてからのお楽しみ、ではいけませんか」


もう既にこの場所もどこだか全く分からないのだ。
今から聞いても分かるはずもないのだけれど、なんとなく訊いただけだったのでふるふると首を振る。


「それは良かった。きっと気に入ります」


そっか、と頷くと、彼は一瞬だけ優しい眼差しをくれてから車内時計をちらりと見る。


「ちょうど良い時間ですね」


彼につられて時計を見ると、時刻はもう少しで十一時半になろうという頃で、そんなに話しこんでいただろうかと首を傾いだ。

そういえば彼と居る時はいつもそうだったなと思い出す。
勉強を教えてもらっている時も、休憩のお茶をしている時も、買い出しに行く時も、一緒にベースで番をしている時も、会話があってもなくても、なんだかいつもすぐに時間が過ぎてしまう。
何故かなんて考えるまでもないことだけれど、それでも最初はすごく不思議だったものだ。

綾子に訊いた時は爆笑されたし、ナルには心底呆れたような顔をされた。
滝川にはひどい奇声を上げられたし、真砂子には頬を染めて逃げられた。
ジョンには頭を撫でられて、最後にやっと安原が教えてくれた。


――それはね、谷山さん。恋というものです。


ピッと人差し指を立ててウインクをかましてきた安原の表情は信ずるに足るものではなかったけれど、そうなのかも、と思ったら、それは意外とすんなり腹の奥にストンと落ちていった。
好きな事をしている時。
好きな人たちと居る時。
時間がたつのが早いとは思っていたけれど、リンと一緒に居る時はその比ではないのだというのはそれからの日々の検証で確認済みだ。


「なぁんかリンさんといると早いんだよね、時間。なんでだろ」


うーんと大袈裟に首を傾ぐと、彼は噎せたようで小さく咳き込んだ。
不思議そうな表情を作ってチラッと横目に見た彼の耳はほんのり赤く、してやったり、と心の中でガッツポーズを決め込む。
何度か抱き締められたりはしたけれど、いつも冗談っぽく誤魔化されてなんだか遊ばれているような感覚だったので、ことのほかスッキリした。


「だいじょーぶ?」


運転に支障はないようだったけれど、一応心配する素振りを見せて背中を数回擦って様子を窺うと、左手でそれを制されたので頷いて外の風景に目を移す。
そんなに標高は高くないようではあるけれど、車はいつの間にか山道を走っていた。


「もう着きますよ」


急なカーブを抜け、中途半端に舗装を施された横道を左に入る。
ガタガタと大きな車体を揺らせながら暫く真っ直ぐに進むと、かなり開けた場所に出た。

山道からは想像できないような広い駐車場で、既に何台もの車が停車している。
サイクリング用の自転車もかなりの台数駐輪してあり、駐車場から続く道の先には人がばらばらと歩いていた。
その更に先に『南沢植物園』と表示された大きな看板が、伸びた蔦や薔薇で飾られていて、見た目も綺麗だしわりとお洒落だ。


「わぁ、結構人がいっぱいだね。植物園?」
「手前は植物園ですね。少し歩きますが向こう側は高原になっているはずです。せっかく用意していただいた昼食もありますし、先にそちらへ行きましょうか」
「うん!」


どうやら無料らしい駐車場に車を停め、車窓を閉めて外へ出る。
真っ白な雲がぽつぽつと浮かんだ空はそれは綺麗な水色で、空を見上げながら思い切り吸い込んだ空気も都会とは違うような気がする。
沢山の木々に囲まれた駐車場にはゴミ一つ落ちていないし、微かに香る花や緑の香りが肺にいっぱいに浸透していくようだった。


「うーん、良い気持ち!」


ぐっと両腕を上げて伸びをすると、背後からスカートの裾をきゅっと引かれて振り返る。


「気を付けてください、見えますよ」
「だいじょぶだよ」


バスケットを右手に苦笑していたリンの左手を引き、早く行こ、と急かす。
いつの間にかシャツを腰に巻きつけていた彼は、困ったような笑顔を零した。


「すごい、綺麗だね」


周囲をきょろきょろと見渡しながらゆっくり歩く。
麻衣のペースに付き合ってゆっくり歩いてくれている彼が、小さく頷いた。

先ほど車から見えた大きな看板をくぐり、入場口を横に逸れた先の『南沢高原入口』と表記された看板の横を通り過ぎる。
休日ならでは、家族連れと思しき団体とすれ違ったり、仲のよさそうな老夫婦を通り越したりしながら、土ではあるものの平坦な道を歩く。
途中から随分となだらかな斜面に切り替わるが、生い茂る木々の瑞々しい青い香りに包まれて、時たま野鳥の声なんかが聞こえてきたりするのは本当に気持ちが良かった。

特に変わり映えしない風景の中、ふと腕を引かれ見上げると、彼が視線だけで左手を示す。倣って其方を見れば、木々の隙間からでかなり小さくはあるが、色とりどりの花壇が見えて足を止めた。


「うわ、いっぱいあるね、すっごいや」
「植物園の方は温室や種類の違う土、それに特別な肥料なんかを使用して、一年間を通してかなりの種類の草花が見られるそうです」
「早く近くで見たいね」
「食事を済ませたら行きましょう」


柔らかく微笑む彼に大きく頷いて再び歩き出した。
差し込む日差しもそんなに強いものではなく、ゆるやかな風が頬を撫でる。
繋いだ手はすごく暖かくて力強いし、時たま触れる腕がこそばゆかった。


「松崎さんが教えてくださったんです」
「ここ?綾子が?」


イメージとは程遠いこんな健全な場所を何故彼女が知っているのだろうかと目を瞬く。
巫女ならではの御神木探検ツアーとかだったら、帰ったら絶対にからかってやろうと思った。


「ハイキングのつもりで来てみたら、とんだピクニックだったと」
「なにそれ、ドジだなぁ」
「友人に誘われて下調べなしで来たようですね。場所を訊いておいて正解でした。そのお陰でこうしてあなたと一緒にいるわけですから」
「そっか。じゃあ、綾子のドジに感謝!」


おちょくるようにそう言って大きく頷くと、眩しそうに目を眇めた彼は悪戯っ子のようににやりと笑って頷いたのだった。





  1. 2010/07/06(火) 04:01:29|
  2. リン×麻衣
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恋煩い2

side-lin



午前九時五十分。
時間よりも少し早めに到着した、麻衣が住む小綺麗なマンション前。
迷惑にならないよう道の端へ車を止めたリンは、車内ではなく携帯の時計を確認すると、それをシャツの胸元へゆるやかな動作でしまった。

七階建ての二階に住む彼女の部屋を見上げると、レースのカーテン越しにではあるがちょこちょこと部屋を動き回る小さな影が見え隠れする。
その様子に微かに頬を緩めながら、しかし、カーテンをもう少し厚手のものに変えさせなくてはと瞬時に険しい表情に変貌すると心に決め込んだ。



彼女を偶然渋谷の街角で見付けたのはちょうど一週間前。
その日は休みであるにも関わらず細かい資料の整理に追われ出勤すると、新書が昨日の夕方に入荷されたと行きつけの書店から連絡が入り、外出を断るまでもなく即座に遣いを命じられた帰り道。

幼い上司が車を使用するとのことで重たい紙袋を両手に提げながら已むを得なく駅から歩いていると、事務所まであと五分かそこらという所で此方を見つめたまま微動だにしない彼女と目が合った。
少し遠めに見た女性をもしかしたら彼女ではとは思ったが、バイトが入っているわけでもないのにこんな場所で会うとも思っていなかったので、距離が縮まるうちに彼女だと分かって本当に驚いた。


「谷山さん、どうしました」


様子のおかしい彼女に足早に駆け寄ると、どこからそんなに溢れてくるのかと思うほどの大粒の涙をぼろぼろと零しながらジャケットに縋りつかれ、思わず両手に提げていた紙袋を取り落としそうになるが、寸での所で持ち直す。


「うぇっ、リンさっ…ふ!うわぁあああん」


リンの名前を連呼しながら盛大に泣く少女は随分と周囲の関心を集め、ものの一分もしないうちに周囲には抜け出すことが容易ではない人だかりが出来てしまった。

両手が塞がっている今どうする事も出来ずになすがままになっていると、人だかりを掻きわけて同じく休日出勤である安原が駆け寄ってくるのが視界に映りほっと息を吐く。
彼ならばどうにか出来るかも知れないと縋るような視線を向けるが、にっこりと笑った彼はリンの両手から紙袋を取り上げると、頑張ってくださいねー、などとのたまいとびきりの笑顔を残してそそくさとその場を後にしてくれたのだった。

来た時と同じくして颯爽と人だかりを掻きわけてゆくその後ろ姿を呆然と見詰めること数分。
とにかく場所を移すことを提案しようとしがみ付いたままの彼女を胸元からやんわり引き剥がすと、何度も首を振りながらそれまで以上に彼女が泣きじゃくり始めた事に僅かに眉根を寄せる。


「…まいりましたね」


場所を移すにしてもこのままでは何処の店にも入れないのは明らかだ。
聞こえないよう小さく溜め息を吐き、彼女を再び胸元に収めると、小さな身体を引き摺るようにして人だかりを掻きわけて道の端へと移動した。

好奇の視線に晒されるのは別段構いはしなかったが、泣いている彼女をそのままずっと見せつけているわけにもいかない。
睨めつけて蹴散らしてやろうかとも思ったがあまり大業なことをするのもはばかられ、ぐずぐずと鼻を啜る彼女の小さな頭をそっと腕に閉じ込めた。

彼女がこんなふうに人目を気にせず泣くような性格でないことは確かだ。
何か悲しいことでもあっただろうか。
そうでもそうでなくとも、この小さな彼女を少しでも癒してあげられたら良い。

柔らかく触り心地の良い髪の上に頬を滑らすと、懐かしい気分にさせるような香りがした。
たった二カ月こうしていなかっただけで、彼女の何もかもが変わってしまったような気分になっていた自分に失笑が零れる。
彼女はあの時から何も変わっていないのだ。


「さあ、もういい加減泣きやんで下さい。久しぶりに二人でお茶でもどうです」


耳元でそう囁くと、彼女は大きな琥珀色の瞳を零れんばかりに見開いてリンの腕の隙間から顔を出し、涙に濡れた泣き顔をくしゃりと歪めた。



場所は変わって路地裏にひっそりと在る喫茶店。
そこで無意識にであろう、寂しい、と何度もぽつりと繰り返す彼女を前に、安心させるように微かに笑みを浮かべた表情だけは変えず、テーブルの下で握った片手にぎゅっと力を込めた。

彼女が大学へ入学してから会ったのはたったの三回程度だったが、楽し気に大学でのことを話してくれる元気な彼女を前に、自分の出る幕はもうないのだと自分勝手に距離をとっていた自分が情けなくなった。
それと同時に沸々と怒りが沸き上がる。
こんなふうになるまで何も言わずにいた彼女へもだが、それ以上に自分に。
たかが数年とはいえ間近で彼女を見てきていたというのに、心配させぬようにと無理をしていた彼女に何故気付けなかったのだろうか。

今更そんなことを思い憤ったところで詮無いことだとは分かっても、彼女に隠した拳を握りしめる他には出来ることもなく、そう思わずにいられなかった。


――ピクニックに出掛けませんか?


喫茶店を出るなり申し訳なさそうに、じゃあまたね、とあっさりと身を翻した彼女の腕を、無意識に掴んでいた。
どうしようという訳でもなかったが、そうしてしまった以上何かを言わないといけないと懸命に考えて出た台詞がそれだったものだから、ぼうっと見上げてくる彼女が不思議そうに瞳を瞬かせたのを見て、失敗だったと悟った。
けれど同時に、それで彼女の気が少しでも楽になるならばと思ったし、いつ事務所に来るかも知れない彼女を待っているよりは自分の精神衛生上何か約束を取り付けた方が良いのだとも思った。

同じ台詞を再び口にすると、彼女は一も二もなく頷いてくれた。
拒否されなかったことが嬉しくて小さく息を吐くと、再び彼女の瞳が潤む。
何か勘違いさせてしまっただろうかと慌てて口を開いた。


――じゃあ、お弁当持って、普段行かないような場所まで行きたいなぁ。


しかしリンが言葉を発するより早く涙を堪えながら小さく首を傾げて笑う彼女を前に、何も言わずに頷くことが一番であると思いそうした。

携帯を持ったという彼女と連絡先を交換した後は、本当に数えられるほどしかないメールのやり取りで、薄っすらと覚えていた彼女の誕生日の予定をさり気なく聞き、そこが空いているようだったので時間を決めたのが一昨日の夜だ。

まるで不運に見舞われたかのような大変な騒ぎになった彼女との再会は、自分の気持ちを確認するのには充分だったし、彼女の心にも未だ自分が居ることが確認出来たのだから幸運だったのだろう。





ふと彼女の部屋に目をやると、ちょこまかと動き回っていた影が姿を消していて、時間を確認してから慌てて車を降りた。
この近距離でも、弁当を作ると張り切っていた彼女の荷物を少しでも軽くしてあげられたら良いし、車内で彼女が降りてくるのをただ待つのも味気ない。
一人暮らしの女性の部屋を訪ねるのも不躾だろうかと一瞬躊躇するが、それでも彼女に早く会いたいという気持ちは変わらないのでそうすることにした。

あらかじめ教えてもらっていた部屋の前に辿り着くなり、中からけたたましい黒電話の音が聞こえてきて苦笑する。
連絡先を交換する際に部屋備えつけの電話はないと聞いていたから、きっと携帯の音なのだろう。
彼女のことだから時間を知らせるアラームである確率は高かったが、通話である可能性も考え、音が鳴りやんでから控え目に扉をノックした。


「はーい!」


扉越しにもよく通る彼女のソプラノに続き、ぱたぱたと部屋を走る素足の足音。それがすぐに鳴りやむとチェーンを外しているのだろうか、微かな金属音がした。
そうっとではあるが確認もせずに扉を開ける彼女を不用心だと注意する前に、隙間からちょこんと顔を出した彼女とその背後の惨状に苦笑が零れる。


「おはようございます」


おはよ、と小さく紡がれた声音にそう返すと、彼女はごめんなさいと呟いた。
失礼だったかと一瞬で目を逸らしたが、垣間見えた部屋の惨状と顔しか出さない彼女に大体の想像はつく。


「すみません、着替え中でしたか」


極力柔らかな声音でそう言うと、困ったように彼女は眉尻を下げ頷いた。
アイシャドウやマスカラに薄く彩られた琥珀色の大きな瞳が申し訳なさそうに俯いたのを見て、隙間から覗く頭にそっと手を伸ばす。


「私が選んでも?」
「選んでくれるの?」


ゆっくりと頭を撫でると、ぱちりと目を瞬かせた彼女が首を傾ぐ。
それに頷いて見せると彼女は一瞬嬉しそうな表情を浮かべたが、すぐに頬を染めて、でもっ、とふるふると首を振った。


「あたしまだパジャマなんだ。それに部屋、散らかってるし」
「構いませんよ、あなたに不都合がなければ」


怒ってもいないし他意はないとアピールするためにも始終笑みを浮かべていたのが功を為したのか、すぐに扉は開かれた。

しかしリンはその直後、小さな彼女がパジャマ姿で恥ずかしそうにはにかんで俯くのはかなり目に毒だということ、そして、彼女の匂いが溢れた部屋に入るのはまだ先に伸ばした方が良かったのだということを本能と理性の狭間で感じ取り、機嫌の良い彼女と共に車に乗り込んだ頃には隠すのが億劫になるほど疲れきってしまっていたのだった。





  1. 2010/07/06(火) 03:52:06|
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恋煩い1

side-mai



ピクニックに出掛けませんか、と誘ったのは彼から。
そうして、お弁当を持って行こう、と提案したのは彼女から。



今年の春、無事に大学へと合格した麻衣は、今やバイト三昧の日々を過ごしているわけもなく、かといって勉学に一途な辛い日々を送っているわけでもなく、中途半端な生活を強いられていた。
心理学を専攻した麻衣に大層上機嫌だった上司は、将来の為になるべく学業に専念するようにと必要最低限の呼び出ししかしてこないし、家で出来るような作業しかさせてくれなくなった。
大きな調査の時には勿論呼び出しも掛かるが、気楽にとまではいかないまでも、好きな時に好きなだけバイトが出来た日々は本当に幸せだったなと思ってしまう。
まだ大学生活を始めて二ヶ月しか経っていないというのに、イレギュラーのメンバーたちと会える回数も激減し、皆社会人であるが故に、ではプライベートで…ともいかない微妙なすれ違いがもどかしかった。
そんな中、この短期間のうちに全員が必要になる大きな依頼や調査、事件がタイミング良く舞い込んでくるはずもなく、麻衣はただ悶々と大学を中心とした生活を続けていた。


フラストレーションが積もりに積もったある日、たまたま街角ですれ違いそうになったリンの姿を発見し、しかもすぐさま自分を見つけてくれるものだから思わず涙が零れてしまった。
自分でも何を言っているのか分からないまま、仕事中の彼を相手にくどくどと訳の分からない愚痴を延々と聞かせてしまった。
初めはぐずぐずといつまでも泣き止まない麻衣に戸惑っているようだったが、そのうちに近くの喫茶店へと誘ってくれて、気が済むまで――というか、陽がどっぷり落ちて麻衣が我に返るまでずっと付き添ってくれたのだった。


――ピクニックに出掛けませんか?


じゃあまたね、と身を翻した別れ際、腕を強く引かれてそう言われた時は呆然としてしまった。
ピクニックという単語や行為がこれほどまでに似合わない男性がナル以外に果たして居るのかと問われたら、迷いなく次に思い浮かぶのは彼である。
しかしきょとんと目を丸くする麻衣に辛抱強くもう一度同じ言葉を紡いだリンの表情が、小さな子供が迷子になったかのような不安そうなものであったから…麻衣は即座に何度も頷いてしまったのだ。


ずっと一緒に居てくれた彼の言葉は少なかったけれどとても優しさに溢れていたし、そう誘ってくれたのも麻衣を気遣ってのことだろう。
大学に合格するまでも、彼は決して嫌な顔一つせずに勉強をみてくれていたし、その後も入学するまでの期間、大興奮の滝川や綾子に混じってやれスーツだ鞄だ靴だ学用品だのと、有り得ないぐらいに甲斐甲斐しく世話を焼いてくれたのである。
それが大学に通い始めた途端にぱったりと途絶え、会うのは週に一回行くか行かないかの事務所でだけだった。
それですら雑用に少しの時間顔を出す程度であったから、リンの顔を見れずに帰る日の方が多かった。



麻衣が頷くのを見た途端、彼が安堵の表情を浮かべるものだから、嬉しくて嬉しくて、全部出し切ってしまったと思った涙がまた零れそうになるのを堪えるのが大変だった。
会えない期間、まさかあまりにも面倒を掛けたものだから嫌われてしまったのではないかと幾度頭を悩ませたことだろう。


――じゃあ、お弁当持って、普段行かないような場所まで行きたいなぁ。


懸命に涙を堪えながら小さく首を傾げて笑う麻衣に、リンは快く頷き、そうして現在に至るのであるけれど。



その麻衣はというと、大学生にもなって女の子が共同の風呂とトイレじゃあんまりだ、という滝川と綾子の父母を思わせるような怒涛の説得に押し切られ、やっと引っ越したワンルームの部屋のど真ん中でぐったりとしゃがみ込んでいた。


「どうしよ」


カチカチと音を立てて秒針を進める時計を憎々しげに見つめながら呟く。
菜食主義者であるリンのための弁当は完璧だし、メイクも不自然にならない程度に可愛らしく仕上がったと思う。
しかし昨日から全くもって決まらない服に埋もれながら、麻衣は幸せが悲鳴を上げて逃げていきそうなほどに深々と溜め息を吐いた。
当日になれば否が応でも決まるものだと決め込んで昨夜は早くに就寝したのだが、それが間違っていた。


「最悪だ」


携帯にセットしたアラームがけたたましい音を部屋中に鳴り響かせる。
きっと普段からしっかりとしている彼のことだから、時間通りにマンションにやってくるに違いない。
泣きそうになりながらベッドの上で小刻みに震える携帯を手に取った瞬間、控え目なノックの音が耳に届いた。


寝間着のハーフパンツにTシャツ。

客人を、しかも心を寄せる彼を迎えるにはあまりに酷い格好だと思ったが、無視しているわけにもいかない。


「はーい!」




ドアの向こうまで届くように声を張り上げた麻衣は目と鼻の先である玄関へ、申し訳ない気持ちと羞恥心をもういらないと手放してしまいたくなるほど胸に抱えて立ち上がった。





  1. 2010/07/06(火) 03:27:40|
  2. リン×麻衣
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